自己PRに嘘は書いていない。
実際にやったことを書いている。それなのに、読み返すとなんとなく嘘くさい。
それは、話を盛ったからではないかもしれません。
自分の経験を「評価されそうな言葉」に直しているうちに、そのとき自分が何を考えていたのかが消えてしまったのかもしれない。
友達には、普通に話せた
バイト先であったことを友達に話していた。
「そのとき、どうしたの?」
と聞かれて、
「なんか、自分でやるしかないなって思って、勝手に動いちゃって」
と答えた。
友達は、
「それ、めちゃくちゃいいじゃん」
と言った。
後日、同じ経験を自己PRに書いた。
「主体的に課題を発見し、リーダーシップを発揮しながらチームを牽引しました」
嘘ではない。
やったことも同じ。
でも、なんだか別人の話みたいになった。
どこで変わったんだろう
友達に話したときは、
「自分でやるしかないと思った」
だった。
自己PRでは、
「主体性を発揮した」
になった。
「気づいたら自分が動いていた」は、
「リーダーシップを発揮した」
になった。
どちらも、間違いとは言えない。
でも少し違う。
前者には、そのとき自分が何を考えて、なぜ動いたのかが残っている。
後者は、その行動をあとから説明している。
自分が感じていたことを、評価する人が使いそうな言葉に置き換えている。
自己PRを書くと、急に採用担当者の目になる
「この経験から主体性は伝わるかな」
「リーダーシップと言った方が評価されるかな」
「ちゃんと強みに見えるかな」
自己PRを書き始めると、自分の経験を採用担当者の側から見るようになる。
すると、
「そのとき自分は何を考えていたか」
より、
「この行動は何と評価されるか」
を考えるようになる。
主体性。
課題解決力。
リーダーシップ。
コミュニケーション能力。
便利な言葉です。
でも、その言葉だけになった瞬間、誰の話なのかが少し分からなくなる。
嘘じゃない。でも、自分の言葉でもなくなっていた
だから、読み返したときに感じる違和感は、
「嘘を書いてしまった」
とは少し違うのかもしれない。
起きたことは本当。
やったことも本当。
ただ、そのときの自分がいなくなっている。
「主体性があったか」より先に、
なぜ自分でやるしかないと思ったのか。
何が気になって、放っておけなかったのか。
そのとき、本当はどんな言葉が頭に浮かんでいたのか。
自己PRが嘘くさく見えたとき。
きれいな言葉へ書き直す前に、その経験を友達に話すなら、自分はなんと言っていただろう。


